「出せ。話はそれからだ。」の文字とともに、束ねたレポートを差し出す学生と、両手を広げて受け取る単位の神

出さない神レポより出すゴミレポ|Better a Trash Report Submitted Than a Divine One Withheld

神レポは、まだ一度もわたしの前に置かれたことがありません。あなたが出せなかったあの一本も、そこにはありません。——以下は、単位の神が降りて告げたことを、畏れながら書き留めたものです。

単位の神様

わたしは単位の神である。

今日は、あなたがたが「神レポ」と呼んでいるものについて告げに来た。

これから記すのは、すべてわたしの言葉である。

心して聞きなさい。

「出さない神レポより出すゴミレポ」とは何か

先に、言葉の意味を確かめておきます。

神レポとは、完璧に仕上がったレポートのことです。構成が整い、論旨が通り、引用も過不足なく、出せば高く評価されるはずの一本。ゴミレポはその逆で、調べが浅く、字数を埋めるのがやっとで、自分でも出来が悪いと分かっているものを指します。

「出さない神レポより出すゴミレポ」は、この二つを並べて、後者のほうが価値があると言い切る言葉です。どれほど優れた内容を構想していても、提出されなければ評価されない。ならば、出来が悪くても締切に間に合ったほうが、結果として手元に残るものは多い。学部を問わず、あなたがたの間で言い交わされてきた言い回しです。

わたしは、この言葉を正しいと認めます。ただし、あなたがたの多くはこれを「手を抜いてよい」という許しとして受け取ります。そうではありません。

この言葉が責めているのは、質の低さではない。差し出さなかったことである。

元ネタ・発祥は?

確認できる範囲では、発祥も、最初に言った人物も特定できません。

特定の作品や人物の発言に由来するという一次情報は見つからず、ネットスラングを扱う辞典類にも項目がありません。

公開された記録としてさかのぼれる古い例の一つに、2020年11月の匿名の投稿があります。ただしそこでも「出さない神レポートより出すクソレポートって言うしね」と、すでに知られている言い回しとして引用されています。この時点より前から使われていたことになりますが、どこまでさかのぼれるかは分かりません。

「ゴミレポ」が「クソレポ」になったり、「神レポート」と伸びたりと語尾が一定しないのも、はっきりした出典を持たない言い回しの特徴です。

確認できた用例の年表と、教員側が実際にどう扱っているかは「出さない神レポより出すゴミレポ」とはに分けてまとめています。

単位の神様

誰が最初に言ったのかは、わたしも知らない。

だが、その言葉に押されて差し出された紙の枚数なら、わたしが数えている。

出典より、そちらのほうが確かである。

神レポと呼ばれるものを、わたしは一度も受け取っていない

あなたがたは「神レポ」という言葉を使います。神の名を冠するにふさわしい一本。完璧に構成され、論旨が通り、引用が過不足なく、読んだ教員が唸るような一本。あなたがたは、それを頭の中に持っていると信じています。

わたしは、その一本を一度も受け取ったことがありません。

正しいレポートを書ける者はいない。一人もいない。あなたがたが神レポと呼んでいるものは、書き上げられた文章ではなく、まだ書いていないという状態が落とす影です。着手していない限り、それは無限に優れていられます。手を動かした瞬間に、それは有限になり、欠点を持ち、あなたを失望させます。だから多くの者が、手を動かしません。

書かれざるものは、常に美しい。それは美しさではない。無に、傷が付かぬというだけのことである。

そして、わたしの名を軽々しく口にしてはなりません。あなたが神レポと呼んでいるものは、わたしの作品ではありません。

神の名を、出さぬことの言い訳に用いるな。

頭の中にある完璧な一本と、机の上にある不格好な三枚。わたしが読めるのは後者だけです。前者は、この世界に存在していません。

ユウタ

でもさ、出すならちゃんと納得いくやつ出したいじゃん。

中途半端なもの出して評価下がるほうが嫌だし。

ミオ

その理屈だと、納得いかない限り永遠に出さないことになるよね。……で、実際いつも出してないよね。

あなたが畏れているのはわたしではなく、自分で立てた律法である

シラバスを開いてみなさい。そこに「完璧であること」と書かれている科目が、一つでもありますか。

書かれているのは、締切と、字数と、書式と、設問だけです。それがわたしの課した掟のすべてです。ところがあなたがたは、その上に自分でもう一つの掟を積みます。誰も課していません。わたしも、教員も、大学も、法令も、そんなことは求めていません。あなたが自分に課しました。

「恥ずべきものを、わたしの前に置いてはならない」——それは、わたしの言葉ではない。

律法は本来、人を守るために与えられます。締切は、無限に悩み続けることからあなたを守るために、わたしが置いたものです。しかしあなたが自分で足した掟は、あなたを守りません。「文字は殺し、霊は生かす」(コリントの信徒への手紙二 3章6節)。条文だけを見て、それが何のためにあるかを見失うと、条文は人を殺します。

自分で立てた掟に殺された学生を、わたしは毎年見ています。彼らは怠けていたのではありません。むしろ真面目でした。真面目すぎて、自分の基準を満たせない自分を許せず、そのまま締切を通り過ぎていきました。

わたしを畏れる者は、締切を畏れる。自らの律法を畏れる者は、締切を見ない。

わたしが裁いたのは、損を出した僕ではなかった

ある主人が旅に出るとき、三人の僕に財産を預けました。五タラント、二タラント、一タラント。五を預かった者は商売をして五を儲け、二を預かった者は二を儲けました。

一タラントを預かった者は、地面を掘って埋めました。主人が帰ってきたとき、彼はこう言いました。

あなたは厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。ご覧ください。これがあなたのものです。(マタイによる福音書 25章25節)

一円も減っていません。傷一つ付いていません。差し出す手つきさえ、丁寧だったはずです。それでも彼は「怠け者の悪い僕」と呼ばれ、外の暗闇に放り出されました。

よく見なさい。もしこの僕が商売をして半分に減らしていたなら、話はまったく違っていたはずです。彼は主人を畏れていたのではありません。自分が評価される瞬間を恐れていただけです。この二つは似ていますが、まったく別のものです。

わたしが裁いたのは、失われた金ではない。掘り返されなかった土である。

未提出とは、これです。あなたは自分の構想を地面に埋め、「まだ傷つけていません」と言って締切の前に立っています。減点されるのが怖くて、そもそも採点の対象にならないほうを選んでいます。それは慎重さではありません。

恐れて出さぬ者は、恐れていたその評価を、自らの手で成就させる。

わたしは、預けたものが増えることを望みます。しかし、増えたかを問うのは、そのあとです。

わたしはまず、土が掘り返されたかを問う。

未提出は0点ではない。わたしの前に何も置かないことである

ここからは、数の話をします。わたしは数も司ります。

途中まで書いて出したレポートには、部分点が付く余地があります。設問に対する答えが一行でも書いてあれば、採点者はそこを読んで点を付けられます。書式が整っていれば形式点が付くこともあります。参考文献が正しく並んでいれば、その項目は満たされています。

未提出には、この余地が一つもありません。0という数字は同じでも、意味が違います。

0点は、裁かれた者の数である。未提出は、わたしの前に立たなかった者の数である。

さらに科目によっては、提出物の未提出を欠席や履修放棄と同じ扱いにします。その場合、他の評価項目でどれだけ点を持っていても、単位は来ません。どう扱われるかはシラバスの評価方法に書かれています。学期のはじめに読んでいないなら、今読みなさい。評価の配分をどう読むかは大学の単位の取り方で扱っています。

黒田教授

白紙は評価できん。

読むものが無いのだから当たり前だ。

だが何か書いてあれば、こちらは点の付けようを探す。

学生が思っているより、我々は減点したくてやっているわけではない。

わたしが受け取るのは、乏しい中から差し出された全部である

賽銭箱の前で、金持ちたちが多くの額を投げ入れていました。そこへ貧しいやもめが来て、レプトン銅貨を二枚入れました。ごくわずかな額です。

皆は有り余る中から入れたが、この人は乏しい中から自分の持っている物をすべて入れた。(マルコによる福音書 12章44節)

締切の二時間前に、あなたが持っているものはレプトン銅貨二枚です。読み込みが足りず、論旨は曲がり、引用も薄い。それがあなたの全財産です。

わたしは、その二枚を受け取ります。

わたしが量るのは、多寡ではない。手を開いたか、握ったままかである。

有り余る時間があった三週間前に何もしなかったことは、確かに問題です。それは別途、あなたが引き受けなければなりません。しかし今この瞬間にわたしが問うているのは、三週間前のあなたではなく、二枚を握ったまま帰るか、置いて帰るかです。

わたしは、差し出された手にしか触れることができない。

わたしを試してはならない。恵みは怠惰の免罪符ではない

ここを取り違える者が必ず出るので、はっきり言っておきます。

「ゴミレポでいい」は、何も考えずに出せばいいという意味ではありません。行いの伴わない信仰が死んでいるように(ヤコブの手紙 2章17節)、内容の伴わない提出もまた、それだけでは何も生みません。わたしが受け取るのは、乏しい中から差し出された全部であって、握ってもいないものを投げ込んだ手ではありません。

「あなたの神を試してはならない」(マタイによる福音書 4章7節)。

わたしが受けると知って、差し出すものを減らす者がある。それは信仰ではない。取引である。

残り時間が少ないなら、確実に取れるところから埋めなさい。内容の質と関係なく満たせる要件が、必ずいくつかあります。

  • 設問をそのまま書き写し、それに対する自分の答えを一行で書く
  • 氏名・学籍番号・科目名・提出日を指定どおりの位置に入れる
  • 指定の書式(字数・フォント・ファイル形式・提出先)を満たす
  • 参照したものを、たどり着ける形で参考文献に並べる
  • 見出しを付けて、どこに何が書いてあるか分かるようにする

これらは思考の深さを必要としません。それでも配点は付いています。引用と参考文献の正しい形はレポートの引用の書き方に、残り時間からの逆算は締切前夜からでも間に合う進め方にあります。

わたしは、深く考えぬ者にも点を置いた。手の届くところに置いた。取りに来ぬのは、あなたである。

そして、締切をすでに過ぎてしまった者へ。

放蕩息子が財産を使い果たして帰ってきたとき、父親は彼がまだ遠く離れているうちに見つけて、走り寄りました(ルカによる福音書 15章20節)。あなたが思っているより、扉は閉まっていません。減点付きで受け取る科目があり、代替課題を用意している科目があります。担当教員に送るメールの書き方は落単しない5つのコツにあります。

求めよ。求めぬ者に、わたしの用意した救いは配られない。

盗んだものを差し出す者を、わたしは受け取らない

ここまで「乏しくても差し出せ」と言ってきました。それでも、差し出してはならないものが一つだけあります。

あなたが書いていないものである。

他人のレポートを写したもの、出典を示さずに文章を借りたもの、生成AIに書かせた文章をそのまま貼ったもの。これらは出来の悪いレポートではありません。採点の場に置かれた時点で、レポートですらなくなります。

ここで、この言葉の効く範囲がはっきりします。未提出なら、失うのはその科目の点です。不正行為は、そこで終わりません。

政策研究大学院大学は、レポートの盗用・剽窃を学業上の不正行為として扱い、訓告なら当該科目の履修を無効、停学なら「当該学期または当該学年について、全科目の履修を無効とする場合がある」と定めています(不正行為学生に対する処分についての要項)。扱いは大学ごとに違いますが、一科目では済まない規定を置いている大学があることは知っておきなさい。

出さぬ者が失うのは一科目である。盗む者は、学期ごと失うことがある。

つまり「出さないほうがましだった」という事態は、確かに存在します。ただしそれは、質の低いレポートのことではありません。自分が書いていないレポートのことです。

生成AIの扱いは大学・科目ごとに違います。丸ごと提出することを不正行為と明示している科目がある一方、下調べや推敲での利用を条件付きで認めている科目もあります。一律の答えは無いので、シラバスと担当教員の指示に従いなさい。

借りた文章を、借りたものとして正しく扱う手続きが引用です。参考文献の並べ方はレポートの引用の書き方にあります。同じ一文でも、出典を書けば引用になり、書かなければ剽窃になる。

まとめ:神を畏れ、締切を守れ。これこそ、学生のすべて

風を見守る者は種を蒔けない。雲に気を取られる者は刈り入れができない。(コヘレトの言葉 11章4節)

条件が整うのを待っている者は、永遠に何も始めません。三千年前から同じことが書かれています。あなたの完璧主義は、あなただけの新しい病ではありません。

覚えておきなさい。

手元にあるものわたしが読めるもの残るもの
出さない神レポ完璧な構想未提出の記録
出すゴミレポ不格好な三枚三枚点数と、次への足がかり

神レポは存在しません。存在するのは、出したレポートと、出さなかったレポートの二種類だけです。前者はどれほど不出来でも、あなたの成績の一部になります。後者は何も残しません。

「神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ、人間のすべて」(コヘレトの言葉 12章13節)。学生にとってその戒めは、締切です。

だから、胸を張って差し出しなさい。あなたが恥じているその三枚を、わたしは受け取ります。

わたしの名は、締切のたびに呼ばれる。ほむべきかな。

よくある質問

「出さない神レポより出すゴミレポ」とはどういう意味ですか?

完璧な内容を目指して提出できなくなるくらいなら、質が低くても提出したほうが評価されるという意味です。提出されなかったレポートは、どれほど構想が優れていても採点の対象になりません。

「出さない神レポより出すゴミレポ」の元ネタは何ですか?

確認できる範囲では、発祥も最初に使った人物も特定できません。特定の作品や人物の発言に由来するという一次情報は見つからず、ネットスラングを扱う辞典類にも項目がありません。公開された記録としてさかのぼれる古い例の一つに2020年11月の匿名投稿がありますが、そこでもすでに「〜って言うしね」と、既に知られている言い回しとして引用されています。それ以前から使われていたことになります。

未提出と0点は違うのですか?

採点結果としてはどちらも0点ですが、途中まで書いて出したものには部分点や形式点が付く可能性があります。未提出にはその可能性そのものがありません。また、提出物の未提出を欠席や履修放棄と同じ扱いにする科目もあるため、シラバスの評価方法を確認してください。

締切に間に合いそうにないとき、遅れてでも出すべきですか?

まず担当教員に連絡してください。遅延提出を減点付きで受け付ける科目、代替課題を用意している科目、一切受け付けない科目があり、扱いは科目ごとに違います。こちらから申し出なければ、用意されている救済も適用されません。

コピペや生成AIで埋めたものでも、出さないよりましですか?

そこは別の話になります。他人の文章を出典なしに使ったものや、生成AIの出力をそのまま提出したものは、質の低いレポートではなく不正行為として扱われます。未提出で失うのはその科目の点だけですが、不正行為は訓告で当該科目の履修が無効になり、停学の場合はその学期または学年の全科目の履修を無効とする規定を置く大学もあります。生成AIを使ってよいかは科目ごとに方針が違うため、シラバスと担当教員の指示を確認してください。

内容がひどくても出す価値はありますか?

あります。設問に対する自分の答えが一行でも書いてあれば、採点者はそこに点を付けられます。加えて、書式や参考文献のような形式の要件は内容の質と無関係に満たせるため、時間が無いときほど確実に取れる部分です。

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